東京・愛知の住まいと事業物件の設計と企画 | 旅行
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旅行

インド旅行7日目と8日目

午前中はアーメダバード の旧市街地をガイドツアーにて歩く。 計画されて道が出来たのか、余った場所がたまたま道になったのか、どちらが先なのかが分からない街だった。 建物間の距離は狭く、街の密度が高く感じる。 アーメダバード の街の住宅は宗教施設の一部を模倣して?作られていた。 宗教建築のもつ装飾性を住宅に持ち込むことによって信仰心を高めていたのだろうか?だとすると日本人には全くない感覚。 また、モスクを通してのコミュニティはあるように思えたが、それ以外の街の中でコミュニティを作るような気持ちはないのではないかと感じた。 やはり、宗教が生活の中心なのだろうか。 現在の日本は宗教の無い情報社会なので基本的に空間に象徴性が無い。 神という見えないものは空間に影響を与える。 また、建築の作り方について考える機会を得た。工学的に計算された構造があるわけではなく、 作り手の工夫、経験則からその作り方が広まっていくような感じがした。 以前、大工さんと話をしている時にその大工さんがつくった住宅は倒れないと言っていたが、 地震が来ていないのだから倒れるはずはないだろうと思ったことがあった。 鉛直荷重に対しては経験則でも充分。 アーメダバードの建築の構造は組積と木造のハイブリッド構造となっていた。 チャンディガール は組積とコンクリートスラブのハイブリッドだったが作る工程が煩雑になることを考えると 木造が広がるのではないかと思うが、コンクリートスラブの方が多いように見受けられた。 木材を加工したり、生産することがインドにとっては難しいことだったのかもしれない。 街を見た後、階段井戸群を見にいく。 リキシャーは昨日のおじいさんに頼んでおいたので安心。 インドにいると日本人はインド人から割と声を掛けられる(僕にはほとんど声をかけてこない。おおよそ学生さんに声をかける。) 階段井戸でも声を掛けられ、一緒に写真を撮ったり、撮らされたりとなんというかコミュニケーションが非常にライトな感じがする。 階段井戸は乾燥地帯で水をどのようにして確保するのかというのは生きる根元に繋がるのではないかとおもう。 その根源的な部分と宗教が結びつくのはインドにおいて想像に容易い。 3箇所階段井戸に行ったのだが、2箇所は観光地として使われ、リキシャーのおじいさんおすすめの階段井戸は地域に根付いているような場所だった。 階段井戸からホテルに戻り、おじいさんのリキシャーに乗り、空港まで行き、デリーに戻る。 少し早めに空港に着いたので空港内で飲食をする。もう旅の最後だし、と思い、シェークなどを飲み食いする…。 デリーのホテルでは、別々に行動していたグループの人たちと合流し、ホテルの部屋で飲む。 最後だしと気を抜いたのが失敗で。酔ったまま寝てしまった…。 次の日起きると部屋が極寒。酔ったまま寝てしまったため、エアコンを付けたまま寝てしまった…。 身体が冷え切っているし、お腹も痛いし、体調がとにかく悪い…。 無理矢理デリーの街中に出るが生きていることが苦しい状態…。 でも、旧市街地を見たかったので、どうにかこうにかで移動。 お昼はもちろん食べれず…15時頃になるとなんとなく体調も回復してきたが空港に行く時間。 と最終日は本当に苦しい一日となりました。自業自得なのですが。 長々と書いてきましたがこれでインド旅行編はおしまいです。お付き合い頂きありがとうございました。 最後にインド旅行で感じたことを書きたいと思います。 インドでは何が正しいかどうかではなく、起きている出来事を受け入れることが 大事なのではないかということを強く感じました。 僕たちの持っている価値観や正義は少し自分たちが楽して生きるための手段のようになっているように感じます。 インドの人たちはその場その場の状況を受け入れ、そのことに対して素直に反応しているように感じました。 それは便利なものが少ないことに対する知恵のようにも感じますし、 協力して生きていかなければならないことに対する知恵のようにも感じます。 デリーの街中ではだまそうとしてくる人はたくさんいますし、リキシャーの交渉も面倒なものですが おおよその人はいい人ばかりですし、僕たちが忘れてしまったおおらかさをもった国です。 もう一度インドに行きたいかと言われれば、行ってもいいかな…程度ではありますが やはり自分が持っている価値観を揺さぶってくるという意味においておすすめの国ですので みなさんも機会があれば行ってみるのもいいかもしれません。 7日目、8日目の写真...

インド旅行6日目

インド旅行の記憶もそろそろ薄くなりつつ… 朝、アーメダバードの駅に到着。 ホテルに荷物を預けてから移動しようと思い、まずはホテルへ。 ホテルに予約をしてある旨を伝えると予約されてないよ、と言う…。 満室ではなかったようなので特に問題はなかったのだけど、 どうもその後の作業が遅い…。 インド人は慌てない笑、ので、やはり予約はしてあったほうが良い。 この頃になってくるとリキシャーを一回毎に交渉することにみんな疲れてきたこともあり、 一日で多くの建築を見る予定をしていたのでリキシャーを1日でお願いしようということで話がまとまる。 ホテルの外にいた年配の方に声をかけ、交渉。 1000ルピーで交渉がまとまり、この交渉が無くなることに嬉しさと言ったら!笑 様々なモスク 祈りの場 日本人の我々のように特別な場としての祈りの場ではなく、 日常的に訪れる場所であるため、 宗教施設がもつ緊張感以上に日常性を強く感じた。 インド経営大学 この旅で一番見たかったカーンが設計した建築。 大学の機能上必要な校舎などと学生の寮と教員や職員が使用する住居群の建築。 幾何学的に配置されていることは図面で見ていたので整い過ぎて味気ないのではないかと思っていたら 様々な場所が用意されていて、とても居心地の良い場所が用意されていた。 何か特別なことをカーンは設計しているわけではないのだけど 配置、平面、断面においてスケール感がよいのでそのことだけでも見る価値がある。 どの場にどのような性格付けを行うのかにはスケール感が必要だということを再認識。 組積が一部崩れているところがあり補強されていた。 構造設計は計算ではなく、まだまだ感覚の時代であったのだなと思われる。 ガンジー研究所 ドーシが設計した建築。 インドらしいおおらかさと計画性が同居した建築。 出来た当初はきっと衝撃的だったのだろうなと推測。 ドーシ事務所 ドーシは翌日建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞。 その前日にたまたま訪問。 スタッフの方がかなり丁寧に事務所の建築について説明してくれるのだけど 我々の英語力ではなんとなくしか分からず…。 自然との調和や対立を考えて設計したようだ。 インドの街中にインドを圧縮したような場所を作りたかったのではないかと思う。 コルビジェ 繊維会館 現在はどこぞの会社の持ち物であるので、門番の人に中の社長らしき人に交渉してねと言われる。 僕の英語力で大丈夫かと不安に思っていたのですが…案の定、うまくコミュニケーションがとれない… 人数が少ないから明日来いと言われ、明日は明日で予定があるので今日なんとかと伝えたら 突然キレられ、中を見れず終いになる…。反省。 セプト大学 大学の建築群もドーシの設計。 長い間かけて代謝しているよう。 ドーシはコルビジェの弟子なのでモダンでありながらもインドという場所を読み解いて 設計を行っているのだけど、インドを理解出来ていない僕にはどうもその建築の良さが 見えてこない。 美術館 大学の隣にある美術館。 これはもう意味不明レベル。 技術レベルや検討レベルでこれだけの曲線空間をつくることが 難しい時代であったのではないかと推測。 現代の技術を用いたら全く別のものを作れたのではないかと思うが インドという場所を考えるとこれでいいのかもしれない。 カーン、コルビジェとインド出身のドーシの設計した建築物を比較すると インドで作った建築という地域性は同様に感じるものの、ドーシの建築はより単純に感じた。 それはインドの技術レベルを考慮したからではないかと思うのだけどどうなのだろうか。 現代の日本にいるとどれだけ複雑に作っても作れないことはないと思ってしまうが インドでは作り方はとても尊重されるものではないのだろうかと推測する。 アーメダバードの新市街地は道路も整い都市化されていた。 街と魅力は物足りなく感じしまうのだけど、旧市街地と比較した場合、 インド特有のカースト制度が感じづらいなど、都市化は人々の暮らしやすさと つながっているような気がした。 6日目の写真 ...

インド旅行5日目

この日は夜が明ける前から移動。 次の目的地はジョードプル。電車にて移動し、お昼前に到着。 ジョードプルはその日のうちに移動する予定となっていたのだけど 学生の一人がこの町に泊まっていくというので、そのホステルに荷物を置かせてもらう。 その近くのレストランにて食事をとる。 ここではタイヌードルを選択。 タイヌードルというのだから、フォーのようなものを想像していたのだけど なぜか出てきたものはナポリタン笑! 味は意外と美味しくインドでも上位になる満足。 食事後、メヘランガール城へとリキシャーで移動。 メヘランガール城の外観というか街から見るその姿は圧巻で、 地形と建築が一体化しているその様によって 人間がつくったものとは思えないような状態を作り上げています。 インテリアは手の込んでいることはよく伝わってくるのですが 分断された部屋の集合体といった感じで空間的な面白みはありませんでした。 その後、青の町のジョードプルを散策。 かなり道は狭い中に建築物が乱立している。 目線レベルでの町は混とんとしていて、先が全く読めないような街ですが 屋上に出てみるととても気持ちの良い景色が待ち構えています。 日本にいると高さによって町の風景が変わる体験はあまりないものですが 青の町には壁の青と空の青があり、その二つの青が街を形成していました。 よどみ・流れ、狭さ・広がり、暗さ・明るさ、など対立するものが 同時多発的に町に存在していることによってなかなか見ることの出来ない町として存在していた。 街を散策した後はバザールへと足を運ぶ。 日用品から骨とう品?まで様々なものが並びそこに住む人たちにとって 無くてはならない場所になっているように思えた。 我々はアマゾンがあるおかげで外に出ていかなくとも 物を購入することが出来るのだけど 町という視点で消費を考えると町のバザールも悪くないのではないかとも思う。 バザールで売っているものはどこから仕入れてきているのだろうかというのは疑問。 学生が泊まるホステルに戻りシャワーを借りる。 もちろん小さなホステルなのでお湯が出ない(もしかしたらお湯なのかもしれないけど低温。) 少しだけスッキリし、夕飯を食べに出る。 夕飯はメヘランガール城を見上げながら。 食べるシチュエーションもよかったこともあるけど、カレーも美味しく旅の中で 一番の満足の食事でした。 駅まで行き、2度目の寝台列車へ。 前回は3段だったのだけど、今回は2段。 この違いは割と大きな違いでゆとりももって就寝。 ...

インド旅行4日目

寝台列車に揺られてジャイプールに到着。 寝台列車は3段のベッドだったのですこし窮屈な状態でした。 地球の歩き方を見ると寝台列車で寝ているときに荷物を盗まるなどの 被害もあるから注意してねと書いてあったのだけどそんな雰囲気はなかった。 が、車掌さんがチケット確認に夜中に来たので少しビビった。 チャンディーガルまでは参加者全員での行動だったのだけど この日からは3か所に分かれて行動。 駅に到着後、リキシャーでホテルまで行き、荷物を預ける。 その後リキシャーでバス停まで行こうとしたのだけど、 運転手さんにバス停まで行きたいということがなかなか伝わらない。 地図を見せれば分かるものでしょ、と思っていたのだけど たぶん地図を見たことがあまりないのだと思う。 運転手さんによっては地図見せてねと言ってくる人もいる。 運転手さんとのやりとりはインド旅行にはつきものだけど 言葉も伝わりづらいし、地図も伝わりづらいので打つ手なしで疲れることが多かった。 もちろん金額の交渉も1回1回あるので価格交渉に慣れていない日本人には面倒。 とはいえ、その日の気分によって伝わった時の爽快感も無くはない。 なんとかバス停に到着。 バスで目的地であるチャンドバオリの近くの町シカンドラまで移動。 バス停が広くどこでどうすればよいかもわからないのだけど シカンドラと言っているとあっちのほうだよと人が教えてくれる。 何回か繰り返しているとバスのチケット売り場に到着。 バスのチケットを購入するときに係員の人が困っていると 周りの人が助けてくれ、比較的スムーズにチケットを購入することが出来た。 2時間程度バスに乗ったのだけど金額は100ルピー(日本円165円程度)程度だった。 バスと比較するとリキシャーは高い!が、安いようにも感じる。 現地価格のものと旅行向け価格があるので金銭感覚がよく分からなくなる。 シカンドラに到着するとタクシーの運転手さんたちに囲まれる。 囲まれるというと大げさな感じに聞こえるかもしれないがインドではよく囲まれる。 囲まれる機会の多い芸能人は気の毒だなと思う。 交渉して300ルピー(400ルピーだったかも)でチャンドバオリまで往復してもらう。 リキシャーではなく、車だったのだけど、メーターを見てみるとガソリンはエンプティだし、 スピードは0kmだった。つまりすべて壊れている。 壊れているものを直す術がないのが気がないのかは定かではないけど、 ガソリンは残量が分からないのは不便ではないのかな。 近くにガソリンスタンドがあるわけでもなさそうだし。 20分くらい車に揺られ(道路の整備がされていないのでまさに揺られ) チャンドバオリの階段井戸に到着。 壮大なスケールの階段井戸なのだけど、 それをつくった時のことを考えると心が苦しくなるような場所でもある。 一つ一つ大きさの異なる石を同じ階段形態となるように調整している。 高さが何メートルあるのか不明だけどあれだけ掘り、石を調整しながら積んでいくことは 並大抵のことではないはず。 階段井戸は井戸と名前が付くように水を溜めることが主目的だと思うが このチャンドバオリは儀式が行われていたのではないかと思うような構えをしている。 階段井戸をウィキペディアで調べてみると権力者の避暑地とあったので 儀式ではなく、権力者の避暑地なのかな。 いずれにしても庶民の憩いの場という性格の階段井戸ではないことは確かだと思う。 チャンドバオリへの往復で6時間程度使っているのでなかなかの疲労感あり。 そこからお昼を食べるためにリキシャーで移動。 そのリキシャーを運転手さんがなかなか面倒な人で お昼食べるならばその店よりもいい店紹介してやるよ、とか ホテルも安くていい場所知っているよなどを言ってる。 少しの日本語まで使ってくるので日本人をかもにしているのだろう。 少し面倒な思いをしながらもお店に到着。 カレーに飽きていたので(日本であれば毎日カレーでも飽きないのだけど) カレーを頼まずにピザを選択。普通にまずいピザでした。 香辛料が苦手ではないのだけど、どうもインドのカレーは一味が足りない。 その足りないカレーを食べ続けるのはなかなかきつい。 カレー以外も安定感のあるものがなかなかないのだけど、その中で一番安定した味はコーラ。 コーラを飲むだけで救われる気持ちになる。 日本ではコーラを飲む機会はほとんどないのだけどインドでは救いでした笑 そこからアンベール城へと移動。 アンベール城はまったく期待せずに行ったのですが 光と素材の関係性や動線の外し方、中庭と部屋の関係性など 勉強になる箇所が盛りだくさんの良い建築でした。 バラガンの設計した建築に行ったことはないのだけど、 きっとバラガンの建築に行くと同じような体験が出来るのではないかと思う。 アンベール城は広く複雑だったのにもかかわらず集合場所を決めずに見てしまったので みんなはぐれる。海外simを持って行った人たちは連絡を取り合い、特に問題はなかったのだけど 持っていない学生さんは必死になって僕を探したらしい笑 あの広さではぐれたら不安になるのは仕方ないが。 お城を今まで見たことがなかったが、日本の寺院と比較してみると似ている部分も多いが 決定的に異なる部分もあり、それらの要因を予測するときっと面白いはず。 だれか研究してみてくれないだろうか。 アンベール城を見た後にジャイプールの街中をブラっと歩き、この日は終了。 ホテルに戻り、ホテルのレストランで食事。 食事の記憶はあまりないがまずくなかった。 ビールはインドの中で一番美味しかった。 ピンクシティと言われるジャイプール。 一日だけの滞在だったのでジャイプールの良さを理解できなかったのは残念。 移動の多い旅は様々なものに出会える半面、街を理解できるまでいることが出来ないのが難点。 旅行4日目の写真 ...

インド旅行3日目

気をとりなおして3日目スタート。 まず最初にチャンディーガルのスラム街へと足をのばす。 チャンディーガルはインドの中でもどうやら裕福な街のようで スラム街は一つのセクターに固められていました。 (たぶん他の街と比較するとスラム街が小さい。) スラムと日本における建築を比較すると、 現在における建築というシステムがどれだけ発達してきたのかが分かる。 またその一方で資本主義経済の中で失われたものが何かを考えさせる場所でもある。 スラムでは個人という概念は無いように思え、 集団で生活する事が求められ、皆が寄り添って生きているように感じる。 何かに追われるでもない子供達の屈託のない笑顔を見ると インドの魅力はここに詰まっているのではないかと感じてしまう。 スラム街にも2つの住居形式がある。 それは小屋と建築の違いであり、 建築の原初はやはり小屋であるのだと感じる。 スラムにある建築はブロックを積み、コンクリートスラブを乗せているだけの構成、 地震が来たら崩れてしまうであろうその構成は建築を学んで来た人間にとっては怖さを感じざるえない。 近代は生産性を上げることを中心にして来たのだけど、 その一方で日本のように地震国は地震に対する被害を少なくする事も必要であったため、 地震に対するシステムも発展した。知識と生産性の積み重ねが現在の建築のベースにある。 建築において生産性を追求することが生活における豊かさをつくるのかという問題をスラムは投げかける。 ●建築大学 コルビジェが設計した建築。 昨日行った美術館のとなりにある美術館大学とほとんど同じ構成と形態。 北側に大きなハイサイドライトをとり、居室にはそのハイサイドから 安定した光を供給する。 インドの強い光と熱環境を考えると有効な手段だと思われるが、 美術学校との使い方を考えると異なる2つであるべきだろうけど、 インターナショナルスタイルというものはそれらはある程度無視され、 ビルディングタイプごとに量産型になる。 昨日(美術学校で)は北側のハイサイドライトを見れなかったので ハイサイドライトが効いている居室を体験出来たのはよかった。 量産型と言えども、光の取り入れ方には執念のようなものを感じる。 コルビジェという人の面白さは合理性(量産型)と非合理性(執念)が同居していることにある。 ●パンジャブ大学の建築群 ジャンヌレたちが設計したので、コルビジェ風の建築が連なる。 一つの大学内にある程度の建築レベルのものが存在することは稀ではあるものの。 パビリオンが関係性なく、敷地に置かれてしまっているのは残念な様に思える。 ●キャピタルコンプレックス 9年前に見た時の印象が強く残っているコルビジェが設計した建築郡。 昨日は全く見れずで残念だったのだけど、この日は外観と屋上だけ見学出来た…。 やはり建築は空間を体験しなければ理解しづらいので残念。 というとさっぱりしたものとなってしまいますが、この建築郡を目的として来ているので かなり残念でした。 ●美術館 昨日は入れなかったのだけど、この日はオープン。 前回来た時も見ていたのだけど、記憶がかなり薄い…。 前回はキャプタルコンプレックスを見た後に来たのでたぶん薄い。 というのもすぱらしい建築を見た後はあまり他の建築を見る気にならない…。 という意味でいくと今回来たのはよかったのかな。 建築として構成がはっきりしていて、光の建築となっている。 光の建築とするために天井一面にハイサイドライトが設けられ、 そこから入る光によって空間が特徴付けられている。 構造が構成と光をコントロールしているのでインドの建築というよりも 西洋の建築という印象。 ●建築博物館 コルビジェが設計したように思えるが どうもコルビジェが設計したのでは無いらしい。 屋上部分とスロープ空間はコルビジェではないかと思うのだけど 他の部分はコルビジェでは無い様に思うのだけど… 入り口のスチール扉はコルビジェのそれだし… 模倣なのか、本人なのか不明な不思議な建築。 チャンディガールはここで終了。 この後ホテルでシャワーを借りて体をさっぱりさせてから夕食。 昨日行こうとしていたホテルの近くのお店が開いていたのでそこで食事。 ちょっとした高級店のようで、日本で食事をするのと同じ費用がかかる。 インドでの食事は庶民のお店で食べると何か味付けが足りない様な感じがすることと 独特な匂いがあり、それがどうも苦手なのだけど ある程度のお店になると独特な匂いが無くなり、美味しく感じた。 地球の歩きかたに乗っているお店はだいたい美味しいので、 食に困ったら地球の歩きかたをみることがお勧め。 ただ、チャイはどこで飲んでもだいたい美味しい。 その後、リクシャーにて駅まで移動。 寝台列車にて次の目的地のジャイプールを目指す。 https://www.facebook.com/pg/CO2WORKS/photos/?tab=album&album_id=1851289904891439...

インド旅行2日目

インド旅行二日目はデリーからチャンディーガルまで電車での移動からスタート。 インドの列車は時間がいい加減だから、と書いてありますが きちんと時刻通りに出発して、きちんと時刻通りに到着しました。 もう少し時間におおらかな方が旅行に来ている感が出るのになと思ってしまうほどです。 前回、インドに来た時もチャンディーガルまで行っていて、 その際に列車から見た街が自然増殖を繰り返して出来ているかのようで印象的でした。 もう一度、それを見たい!というのがこの旅行の中で大きな想いの箇所でした。 多少記憶とのずれもありましたが、この街を見ながら前回感じたのかなという街を見れて一満足。 チャンディーガルの駅について、そこからホテルまでリキシャーで移動。 リキシャーはグーグルで検索するとすぐに出てきますが インドではタクシーの代わり(?)としてよく使用されています。 駅にいるリキシャーの運転手さんは金額をとにかく高く言います! 金額交渉を1回1回するのが面倒なところですが、こればかりは仕方ないので交渉するしかありません。 ホテルに着くとお昼頃だったので、事前に調べておいたお店へ移動…お店は休み…というか街自体がとっても静か。 しぶしぶ、バスターミナルまで移動し、バスターミナル内にあるお店で食事…このお店は前回来た時も食べたお店。 なぜかよく覚えている。(つまりあまり美味しくない。) 食事後、キャピタルコンプレックスというコルビジェが設計した建築郡へと移動。 以前はその建築を見るために街のどこかで見学証を発行してもらったのだけど、 現在はキャピタルコンプレックスのすぐ近くにコルビジェセンターがあり、そこで見学証をもらえるらしい…。 と思って、コルビジェセンターへ行くと、だれもいない…。 コルビジェセンター近くにいた若者たちが今日は休みだから見れないよという…。 ここまで理解していなかったのだけど、3月2日はホーリーというインドの旧正月にあたる日でどこもお休み。 休みだけならばいいのだけど、昨日投げられた色玉を投げ合う日らしい。 よくよく見るとピンクや黄緑などの色粉があちらこちらにある…。 翌日、コルビジェセンターは営業しているけど土曜日だから建築物の中は見れないという…。 中を見れないのならばほぼ行く意味などない…。 旅の目的の大きな箇所を欠くことになる…悲しいが仕方なし。 この後もコルビジェ建築にはことごとく嫌われ、 インド旅行の重要部分を達成出来ないで終わります。残念。 そこからコルビジェが設計した美術学校へと移動。 その手前にも警察の人がいて、中は見れないし、行っても意味ないよと言われる…。 日本の正月がどこも休みになるのと同じであろうから…仕方ないのだけど。 外観を見て終了。 建築旅行で建築が見れないと手の打ちようがないため、ホテルへ戻って休憩。 建築が見れなくとも、町歩きをしたりしながら異国の文化を吸収することも 海外旅行の醍醐味なのですが、チャンディーガルという街は 碁盤の目のように道路が都市計画がされ、 セクターを仕切る大きな道路は車道、駐車スペースとに分かれ、 その内側に建物があるのが基本となっているため、街が整然として 歩く楽しみのようなものが発生しません。 まさに車社会になることを見越した都市計画となっています。 そうこうしているうちに夕飯どきになったので、 ホテルの人に営業しているお店を聞いて(中華)食事。 なにやら無駄な時間ばかりを過ごした二日目。 というわけで写真は外観写真ばかりとなっています。 インド旅行二日目の写真...

インド旅行1日目

毎年恒例になりつつある建築旅行の目的地はインド。 旅行に行く前に人が書いてくれたブログを読んで色々と参考にさせて頂いているので 建築以外のことも出来る限り綴っていこうと思っています。 9年前に一度インドに行っているので今回は2度目のインドになります。 2回もインドによく行くね(汚い!のでしょ、という意味が大半を占めていると思われる。)、 と言われる機会がよくありましたがぼくなりのインドへ行く理由としては ・街の質感を確かめるため ・コルビジェをもう一度見るため ・インドのカーン建築を見るため の3点。 インドには意外(?)と近代建築が多くあります。また、階段井戸などの歴史的な建築も各地方に見られます。 また、前回行った時のインドの街の雰囲気に関する記憶がかなりぼやってしていて、 もう一度行ってインドを確認したいなという気持ちでした。 1日目は名古屋からデリーまでの移動。 名古屋から韓国でトランジットし、デリーまで移動。デリーに到着するまでは特に面白ろネタは無し。 今回の旅は10人。建築家5人、スタッフ2人、学生3人という内訳になります。 ほぼ大韓航空の飛行機を選択しましたが学生二人がコストにより中国東方航空を選択。 ネットで中国東方航空を調べてみると飛ばない時があるなど不安な情報盛りだくさんでしたが 特に問題無く、名古屋からインドまで移動できたようです。 しかも、行きは人が少なく座席に寝ることが出来る余裕もあったようです。 インドに行く前に日本で準備の出来ることはしておこうということで ホテルの予約や列車の予約などを行いましたが、 ややこしいのが列車の予約!二つのサイトに登録する必要がある上に なにやらうまく登録が出来ない。 こちらの英語力不足なのかweb上の問題なのか…と後々ネットで調べていると アプリで行うとスムーズに出来るようですので、 インドの列車はアプリをインストールしてから行った方が無難なようです。 (我々は代理店に依頼しました。) インドは事前にビザをとっておかなくても 日本人の場合は現地でアライバルビザをとれる(日本人のみらしい。)という情報があったので インドにてアライバルビザをとることを今回は選択。 デリーに到着後、アライバルビザの申請の窓口まで行くと人が一人… その人は料金の徴収係さんのようで申請自体が出来ない… 書類を書いて料金を支払っているとようやく二人の係員さん到着… しかし、なんだかモタモタして前に進まない。何かを入力しているようなのだけど、 キーボード入力にあきらかに慣れていない… インドってIT大国ではないのか…と旅行参加者10人がアライバルビザをとるまでに1時間以上。 少し混んでいればこのくらいの時間かかってしまうでしょうし、 送迎を頼んでいると時間が読めないので日本でビザを取得しておいた方が無難に思えました。 荷物を機内持ち込みではなく、預けていた人たちは後々荷物がどこにいったのかと困っていました。 飛行機やその他の移動中に時間が余るのが旅行なので 旅行の際には本を持って行きます。(と言ってもiphoneにいれていくわけですが。) 今回はインド旅行なので旅の本は仏教の本をセレクト。 (インドはほとんどの人がヒンドュー教なのですが…) 現象には必ず理由があるというのは湯川先生の言葉ですが、 何かの出来事には起因するものがあるから、 それをコントロールしようねというのが仏教ではないかと本を読みながら推測。 六波羅蜜は人生の指針になるのでは、と思うほどグッとくる。 オウム真理教以降、宗教なんていうと日本だと怪しいもの扱いをされるかもしれませんが、 思想として学びが多く感じました。 アライバルビザを取得後、地下鉄に乗り(前回来た時は地下鉄を作っていました。) ニューデリー駅まで移動し、駅から徒歩にてホテルまで移動。 荷物だけ置いてレストランまで移動。 その際にインド人に色玉らしきものを何人かぶつけられる…。 なんだこれ?っと思っていたのですが、このことが次の日の予定を大いに狂わすことになる…。 1日目はここで終了。 写真は1日目の写真というわけではなく、インド旅行でのひっかかりの写真です。 https://www.facebook.com/pg/CO2WORKS/photos/?tab=album&album_id=1836584653028631...

9月23日 マドリード

マドリードは1日しか入れないため、朝8時から移動。 といってもどこのお店も開いているわけでもないので 街の様子を伺うために散歩。 ヨーロッパの都市には歴史があり、なかなか更新しづらいと感じる。 その中でも街を時代と合わせながら更新していくようなバルセロナのような街もあるが マドリードはどちらかというと保守的なように感じる。 歴史を守り続ける良さももちろんあると思うのでどちらがよいというわけでもないが。 マドリードでは感動する建築との出会いはなかった。というよりも 1日しかなかったのでざっと見過ぎてしまったのかもしれない。 一週間の旅で3都市を見て回るとダイジェスト的になってしまうので その街で過ごすことに少し飽きたな程度の方がじっくりと向き合えるので 良いのではないか思う。とアメリカのときにも感じたことなのだけど…。 建築は街との間に密接なつながりがあることが多いのでその建築だけを見て その建築のことを理解することは難しいので、最低でも二日は滞在したい。 と思うと一週間の旅行では2つの街が精一杯。 といいつつも来年はインド、フランスと行き、3つずつ回ろうかと計画している… インドは二つに留めておきたいところ…学習能力を発揮しないといけないような気もします(笑) 1990年代と比較すると現代ではインターネットが普及して、 旅行は事前に様々な情報について調べることが出来るようになりました。 迷うことで時間的なロスがインターネットが普及する前にはあったのだろうけど、 想像力を働かして自分が迷うであろうことに対して情報を得ておけばそれほど迷うことなく 合理的に時間を使うことが出来るようになりました。 そう思うと昔の旅行はもっと無駄が多かったのだろうけど、 その無駄が楽しさを生み出したりしていたのだろうなとも思う。 建築旅行に無駄は不要なので建築旅行ではない旅行に行く機会があれば なるべく調べずに行ってみたいものです。 よく友人に海外旅行に行けていいよね、と言われますが 30歳になるまで海外に行くことがなかったので 現在必死になって世界の文化や建築を見て回っています。 だから、旅行と言っても建築旅行なのでバカンスというわけではなく、 自己投資のための時間です。 この自己投資を行うようになってから建築への見方がだいぶ変わってきましたので より良い建築をつくっていくためにも続けていきたいものです。 ...

9月22日ビルバオ

5日目はバルセロナからビルバオへと移動。 朝7時にホテルを出発。 飛行場まで行くバスのバス停までホテルから徒歩10分程度なので徒歩にて移動。 バスに乗り込んだはいいけど動かない…。どうやら故障のよう。 後ろに控えていたバスに乗り換えて飛行場まで。 バルセロナの飛行場は広いのでチェックインカウンター分かるかなと思っていたけど 意外とすんなりと分かるものでした。 動線ってやはり大切なものだなと広い施設に来ると感じます。 ビルバオの次にマドリードへの移動だったので ビルバオの滞在時間は5時間程度。 日本でビルバオで一泊するかマドリードまで移動してしまうかで 悩んだのですがせっかくだから首都の時間を長くしようかと思い、 ビルバオの滞在時間は短くなりました。 ビルバオの目的はグッゲンハイム美術館を見るためだけだったので 5時間もあれば十分かなというのも判断材料の一つ。 飛行場からバスにてグッゲンハイム美術館まで移動。 人の流れについていけば自然とグッゲンハイム美術館まで行けました。 とはいえ、滞在時間は短いので時間のロスが起きないように 日本にいるときにバス乗場の情報はおさえておきました。 美術館についたのはいいのですがこの日は生憎の雨模様。 そして、美術館に入るために人が並んでいます。 小雨だったのでわざわざ傘を出すのも…と思っていましたが 美術館の中に入る頃にはわりと濡れてしまいました。 (旅の時は上着は防水仕様です。が、バッグに防水スプレーを施すことを忘れていました…) 雨が降っていたので街の様子を見ることなく美術館へ直接行ったので 街との関係が分からずに中を見渡すことからスタート。 設計はフランク・o・ゲーリー。 建築を即物的に作る設計する人なので嫌う人もいるけど、 この人でなければ作ることの出来ない空間を達成しているので 個人的には好みの建築家です。 建築の基本はマッス(塊)とボォイド(抜け)をどのように組合せて構成するのか、 になるわけですが、そのお手本とも言えるような空間構成になっています。 写真では伝えることが難しいのでぜひ現地に行って見てください。 また、ゲーリーの建築はどれを見ても建築というよりも小さな町のようなものを作り出します。 建築は空間を整理をしてしまいますが、 町は多くの人たちによって作られますので整理しきれない状態になります。 その状態によってその町らしさみたいなものが形成されて町を楽しく感じるのだと思いますが ゲーリーの建築は整理されているのだけど整理仕切らないよさを持っています。 この質を持ち合わせるのは今まで見た建築の中ではゲーリーのみです。 パリのヴィトン財団の美術館と比べると即物性が緩いなと感じましたが 年老いてもまだまだ進化途中なのだなと感じることが出来、 その姿勢を見習っていかなければと強く思いました。 美術館を出た後にまだ時間があったので町を散歩してみると グッゲンハイム美術館と町の関係性が分かってくる。 ビルバオは廃れていたのだけどグッゲンハイム美術館が出来てから街全体が活性化されて 生き返った町のようなことを読んだことがあったが、 建築一つで町がそれほどに活性化するものであろうか?と疑問に感じていたのだけど 行ってみると、どれほどの計画があって美術館の場所や形態を設定しているのかがよく分かる。 ゲーリーの想像力は凄まじい。 ビルバオの飛行場の設計はカラトラバ。 カラトラバはスペインの建築家らしく力学ベースに建築を考えているので 無駄がなく美しい。 その後マドリードへと移動。 電車と地下鉄を利用し、ホテルへ到着。 荷物をおいて食事へと外に出る。 二人前のイカスミのパエリアを完食し、満足し、就寝。 ...

9月21日バルセロナ

そろそろ旅行ブログを書こうとしても記憶が薄くなってしました… が、こうやって思い出すことによって記憶に定着してくだろうから 頑張って綴ります。 4日目はバルセロナです。 バルセロナ→オロット→バルセロナの順でまわったのは 5日目がビルバオへの移動だったため、もしオロットから帰ってこれないような事態が発生したときに備えて オロットをバルセロナの間にいれています。結果的には無駄に慎重な結果になってしまいましたが 旅行のときはこのくらいでもいいかもしれませんね。 2日目にいけなかったグエル公園からこの日はスタートです。 ホテルから地下鉄とバスに乗っての移動。 グエル公園につくバス停が公園の東側だったため 上記のような写真の場所からスタート。 設計を行っている人間からすると美しい場所で良い場所だなと思う反面、 この場所に人が喜んでくるものか?と思ってあるき続けていると正面ではなかったことが判明。 正面から見るとたしかに華やかで人が集まってきそうな雰囲気があります。 人を誘導するためのカーブや素材の使い方など参考になる箇所もありますが 少しディズニーランド的な感じを受けてしまいました。 でも、歩いて駅まで行くとその街の中の有り様としては正しいのではないかとも思います。 言葉にすることはなかなか難しいところですが…。 そこから地下鉄と電車で移動し、コロニア・グエル教会へと移動。 これもガウディの設計によるものです。 サクラダファミリアのように大きい教会ではなく、その街の規模にあった少しこじんまりとした教会です。 一見すると蜘蛛の巣のような形態をしています。つまり、細い材料を無駄なく構造的に使っていることが分かります。 ガウディの建築なので非常に構造が明快に構成されているので鉛直荷重の流し方がとても分かりやすく、 構造が見える事で空間の構成がハッキリとしていた。 日本の建築は地震と台風があるので鉛直荷重だけでなく、水平荷重を考慮しなければいけないので ガウディの作る建築のようにスレンダーにすることが難しい。 また、ガウディは構造美を積極的に採用するが、ゲーリーは構造は構造、仕上げは仕上げと区別をするので構造美という言葉には 当てはまらない。過去と現代の技術の差なのかもしれないが、構造美が表に出ている方が建築的の姿としては美しいのでは ないかと感じました。 次はFIRAという駅周辺にある建築群。 この街のことを調べているわけではないがどうみてもつくりかけの街。 再開発地区ではないか。 このあと出てくるSant Martíという街も再開発をしている街なのだけど firaは広い道路と広い広場が漠然と用意されている。 ただ広いだけの場所を西欧人と言えども使うことは難しそう。 どうも開発者任せで計画性を感じない街にしあがりつつある。 その一方でsant martiはトラム、自転車、人、車をうまく分布させているように感じる。 sant martiに建つ建築も?なものが多いのだけど街としては機能している。 街と建築の関係はやはり大切だなと染み染み感じることとなりました。 上記がfiraに建つ建築群、ここの建築が素晴らしいとしても街の中でどうあるべきなのかについて 考えられていないように感じる。街よりも建築が先にできてしまったのだろうかと思う。 この素晴らしさよりも全体の計画が大切。 sant martiに建つアグバータワー。この象徴的な建築は何のためにあるのかが不明ではあるけど、 近くにいって見てみるとこの不思議な形態のおかげで威圧感がない。 新しい街の中に唯一木に囲まれた場所がある。他の建築は建ぺい率、容積率ともにMAXという印象だけど この一角だけはゆとりがある。ギュウギュウにつめられた街の逃げ場のような場所になっている。 人の居場所も確保されていて思い思いにそこで過ごす人がいた。 新しくつくり続けている建築群。一つ一つは何かを競うように面白みがあるのだけど街にそれが反映されていないことが 少し残念に感じる。西欧建築は1階を街にか開放するような用途が多い中、この地域の建築はビルごとの用途が一階まで 占めてしまっているので街としての連続感が損なわれている。 トラム、自動車、自転車、歩行者に居場所が用意されている。様々な速度感が気持ちよく感じる。 その後、せっかくなので旧市街地まで移動し、旧市街地を散歩。 どの国も旧市街地は魅力的。生活の密度が凝縮されている。 先程の話とも少し関連してくるのだと思うけど旧市街地は観光地。 観光地であるので市民以外の旅行客を含む多くの人が集まっている。 そのことで1階を飲食店や小売店として利用することができ、街という一つの単位を作っているのだと思う。 そう思うと、sant...